暖冬で春野菜の出荷が早まっているそうです。春野菜好きな人には嬉しい話でしょうが、早く世に出てくる分、早く消えていくと思います。しかし、うまけりゃァなんでもいいですよねッ!野菜よりも肉が好き、「クラムボン」ナビゲーターの藪下雄介です。
今回取り上げる音楽家は『ヨハネス・ブラームス』です。彼は交響曲を4曲しか作曲してないのですが、どれもすばらしい作品です。
ヨハネス・ブラームスは1833年5月7日、ドイツのハンブルクで生まれました。幼い頃からピアノの才能を発揮したブラームスは、14歳のときのハンブルクでの演奏会で大成功を収め、ピアニストとしての道を歩みだしました。
初めはピアニストとして世の中に出ていくのです。かなりピアノの腕があったみたいですよッ!
19歳の時に、友人のヴァイオリニスト・レメーニイと演奏旅行の旅に出て、彼からジプシー音楽を教えてもらったことがブラームスの創作活動に大きな影響を及ぼします。
やはり演奏家というのは演奏旅行に出て「なんぼのもん」なんでしょうか?よく旅行中に何かにインスパイアされますよねぇ~。
この演奏旅行中にブラームスはシューマン夫妻の家を訪問しました。1850年に初めてシューマン夫妻の演奏会を聴いてからと言うものの、心がシューマンの音楽から離れた事がなかったブラームス。作品もシューマンのロマン的な表現の影響を受ける事になります。シューマンは、自らが創刊した「新音楽時報」(1853年10月28日付け)でブラームスを「新しい道」の作曲家として楽壇に紹介しました。ここから、ブラームスは世界的に名の知れた音楽家となっていくのです。
前回紹介したシューマン。2回連続「クラムボン」出演です。おめでとうございますッ!!
最後の管弦楽作品は、1887年に完成されたバイオリンとチェロの為の協奏曲であり、彼の第5交響曲と言えるものです。この他に晩年の作品として有名なものは、「クラリネット5重曲」、「クラリネット3重奏曲」でどれも寂しさと暖かさがあふれています。1896年にライバルのブルックナーが死去し、孤独感を味わいます。「4つの厳粛な歌」「オルガンの為の11のコラールと前奏曲」が最後の作品となり、1897年4月3日の朝、息を引き取りウィーン中央墓地に埋葬されました。享年63歳でした。