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音楽都市の生みの親 メンデルスゾーン
気温が35℃以上の日は《猛暑日》と言うようになったそうですね。夏日<真夏日<猛暑日と、夏の3段活用みたい…
暑くてとろける寸前、「クラムボン」ナビゲーターの藪下雄介です。

今回取り上げる音楽家は『フェリックス・メンデルスゾーン=バートルディ』です。

メンデルスゾーンは1809年2月3日に、ドイツのハンブルグで生まれました。彼は幼い頃から音楽教育を受け、12歳で弦楽四重奏とオペラ1曲、13歳に交響曲3曲、協奏曲5曲、オペラ1曲を仕上げています。
幼い頃から周りの人たちは注目していたらしいです。

19歳になると、ベルリン大学に入学し、卒業後はヨーロッパ各地を旅行し積極的に様々な人たちと交流し見識を深め、世に出る機会をうかがいます。
約2年間のヨーロッパ旅行を終え、ベルリンに戻ってきたメンデルスゾーンは、ピアノ奏者として世に出ます。
「まずはピアノ奏者でッ」って感じだったのでしょうか。

それからしばらくして、メンデルスゾーンはデュッセルドルフ市に招待されることとなり、そこで音楽監督を務めました。しかしここでは自分の望む仕事ができず、次の仕事場を探すことになります。
そして、26才の若さで、音楽的に重要な都市といえるライプツィヒ市のゲヴァントハウス交響楽団の指揮者に就任します。
彼はまず、オーケストラ団員の給料をあげ、労働環境を改善し、団員たちの地位の向上のために力を尽くしました。そうして、団員たちの信頼を勝ち得ていったメンデルスゾーンは、ゲヴァントハウス交響楽団の演奏水準も向上させ、古楽の復興、シューマン等同時代の音楽の紹介などの活動をとおして、ライプツィヒをドイツ一の音楽都市に発展させました。また、メンデルスゾーン自身も、ロンドンなど各地での演奏活動を行い、彼の名声はヨーロッパ中で高まりつつありました。
メンデルスゾーンがいなかったら、音楽都市ライプツィヒはなかったかもしれませんね。

32歳のときにベルリンに戻り、宮廷に仕えることになったのですが、ベルリンでメンデルスゾーンを待ちうけていたものは、保守的で抑圧された空気、オーケストラ団員の敵意、仕事の障害、そうした問題に対する宮廷の官吏たちの言い逃れでした。メンデルスゾーンは家族といる時以外、気の休まることがなく、次第に疲労し、健康をくずすようになり、3年でライプツィヒへと移ります。
こうした事態を予想していた彼は、ライプツィヒに自分の居場所を確保していました。
ベルリンが望むモノと、メンデルスゾーンが望むモノ。どういった違いがあったのでしょうか。

メンデルスゾーンは一年くらいの完全な休養の必要性を感じていたのですが、実際はゲヴァントハウス交響楽団での仕事のみならず、各地での演奏活動、新しいオラトリオ『エリア』の作曲、公演にと、あいかわらずの多忙な日々を過ごしていました。
そして1847年11月4日、くも膜下出血と思われる症状にて亡くなります。享年38歳でした。

音楽都市の生みの親 メンデルスゾーン_b0055921_9232575.jpg


今回の『Word Of Classic』は【劇付随音楽】です。
by fmgig | 2007-08-19 09:25 | Comments(0)
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