夏の甲子園も終わり、ツクツクボウシも鳴き始め、夏も終わりだなァ~という感じの今日この頃。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
残暑厳しく夏ばて気味、「クラムボン」ナビゲーターの藪下雄介です。
今回取り上げる音楽家は『ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ』です。
ヴェルディは1813年10月10日に、イタリアのロンコレ村で生まれました。
7才から、村の教会オルガニストに本格的な音楽の手ほどきを受けます。13歳になるとヴェルディは、ブッセート市立音楽院院長でありブッセート大聖堂楽長であるプロヴェーシから指導を受けます。そして14歳から最初の作品を書き始めます。
14歳からというのは比較的遅めという感じがします…
1832年、18歳のヴェルディはミラノの音楽院に入学しようとしましたが、入学試験に落選してしまいます。
落選の理由ははっきりしたものだったのですが、それは番組内でッ!
1836年2月にブッセートの大聖堂聖バルトロメオ教会楽長と市の音楽教師に任命されます。
それから3年後の1839年、ブッセートの仕事を辞職し、ミラノへ移住します。11月にスカラ座で初めてのオペラ「サン・ボニファーチョの伯爵オベルト」を初演し、それなりの評価を受け、スカラ座から3つの新作の委嘱を受けるのですが、最愛の妻をミラノに移住して1年で失ってしまいます。その後、ヴェルディは苦しい日々を送っていましたが、後に2度目の妻となるジュゼッピーナの励ましによって書上げられたオペラ《ナブッコ》は、オーストリアの支配下にあったミラノの人々を沸かせ、大成功をおさめました。
ここからオペラ音楽家・ヴェルディの人生が始まったということです。
1844年、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場の依頼で第5作「エルナーニ」を完成させ大成功をおさめ、その後はミラノ以外での活動を始めます。そして、《ジャンヌ・ダルク》《マクベス》《リゴレット》と、次々とヒット作を生み出していきます。
その後も《アイーダ》《オテロ》とオペラ作品を作り続けましたが、彼は貧しい芸術家のための老人ホーム「憩いの家」を完成させたあと、1901年1月27日にミラノで卒中のため亡くなりました。享年87歳でした。
今回の『Word Of Classic』は【声楽】です。