2007年5月22日から3シーズン目となる「セ・パ交流戦」が始まりました。世の中は一回だけで終わると思っていたのですが、3回も続いてしまうなんて・・・なんでもやってみるものですね。
「セ・パ交流戦」に賛成派、「クラムボン」ナビゲーターの藪下雄介です。
今回取り上げる音楽家は『ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ』です。
ロッシーニは1792年2月29日にイタリアのペーザロで音楽一家に生まれました。6歳の時には父親の楽団でトライアングルを演奏したと言われています。
「トライアングル」って…かァーわいいッ!
8歳になった1800年に、ボローニャに移り住み、ボローニャ音楽学校に入学して本格的に勉強を始めます。
1810年にフィレンツェで1幕のオペラ『結婚手形』を初演し、オペラ作曲家としてデビューします。
1816年、24歳の作品『セビリアの理髪師』でヨーロッパ中に名声をとどろかせました。
1812年から1819年の7年間には、27作という超ハイペースでオペラを書き飛ばしたそうです。なかには、似たようなフレーズもあったらしいです。
名実ともに偉大な作曲家と見られていたロッシーニは、1829年8月3日、最高傑作とされるオペラ「ウィリアム・テル」をパリで初演し、成功を収めます。
ところが、このオペラが上演されて大成功を収めた直後、人気と実力の絶頂にあったロッシーニは突如、音楽界からの引退を発表しました。
彼が引退したのは、料理に没頭し、高級レストランを開き、豚を飼育するためだったのです。
ロッシーニの後半生は、パリでは私的な美食家専門レストラン「グルメ天国」を切り盛りし、ボローニャではトリュフを掘る豚を飼育する毎日でした。
そして、音楽の世界と同様に、料理の世界でも彼は有名になりました。
そんなロッシーニも直腸癌になり、手術を受けますが、それにより丹毒に感染してしまい、1868年11月13日に亡くなってしまいます。享年76歳でした。
今回の『Word Of Classic』は【宗教音楽】です。