早いもので2007年上半期も残すところ約1ヶ月。と言うと、時間の流れが速く感じられますが、まだまだ2007年は半年以上も残っています。まだこれといった思い出が無くても、作る時間は充分にあります。
「ザ・ワールドッ! 時よ止まれッ!」が大好きです、「クラムボン」ナビゲーターの藪下雄介です。
今回取り上げる音楽家は『マヌエル・デ・ファリャ・イ・マテウ』です。
ファリャは1876年11月23日にスペインのカディスで生まれました。
マドリードの王立音学院に入学し、ピアノとともに作曲にもその才能をあらわし始めます。
ファリャは27歳のとき、王立音学院の新作コンクールに、オペラ「はかなき人生」で応募し見事1位を獲得し、さらに翌日に開催されたピアノコンクールにも優勝し、一躍「時の人」となったのです。
「時の人」って言葉の前に「一」を入れると、とんでもない言葉になりますね。「一時の人」って…
そして1907年の夏、ファリャはパリに旅立ちます。
そのパリではドビュッシーやラヴェル、ポール・デュカス等と親交を深め、作品はあまり残してはいないものの、第一次大戦が勃発する1914年までの7年間をすごし、本格的な音楽家としての位置を確立し、充分な名声と人的コネクションを得てスペインに帰ります。
マドリードに戻ってきたファリャは「恋は魔術師」「三角帽子」などの名作を生み、又、スペイン音楽界の発展に色々と力を尽くすことになりました。
今回は名作「恋は魔術師」「三角帽子」の2曲がオンエア曲です。
華麗な成功は彼に充実した生活をもたらしたかのように見えますが、生まれつき神経質であまり外向的ではないファリャは、華やかで社交的な生活が段々うとましくなり、一時バルセロナにいたあと、44歳の頃からはグラナダのアルハンブラ宮殿の近くに落ち着いた家を探しあて、彼独自の静かな世界を求めるようになりました。また、完全主義者である彼は、神経質な上に非常に信仰深いカトリック信者でもあったので、世の中からは身を遠ざけ、生涯独身をとおして自らの愛を神に捧げました。
1939年、ファリャは63歳になると南米のアルゼンチンに亡命します。
そして1946年11月14日、アルゼンチンのコルドバで亡くなります。享年69歳でした。
今回の『Word Of Classic』は【アンコール】です。