祝ッ!阪神タイガース、2年振りの長期ロード勝ち越しッ!!ということで、すみません、クラシックと全然関係ない冒頭で…。たまにはこんなのもアリかなぁ~と思ったのですが、だめでしょうか?
甲子園でタイガースを応援したい、「クラムボン」ナビゲーターの藪下雄介です。
今回取り上げる音楽家は『ヨハン・シュトラウスⅡ世』です。
ヨハン・シュトラウスⅡ世は1825年10月25日に、オーストリアのウィーンで生まれました。
父親であるヨハン・シュトラウスⅠ世は、すでにウィンナワルツの作曲家として有名でした。音楽にあふれた家のなかで成長していくシュトラウスⅡ世は、当然の事ながら音楽への興味と才能を示すようになります。
しかし、シュトラウスⅡ世は、父親の考えで、大学では音楽とは関係のない経済学を専攻させられました。
ワルツの父は息子の才能を恐れていたのかもしれません。
やがて、父親に愛人ができ、家族内で関係が悪化します。そして、父親は愛人と蒸発してしまいます。
良くも悪くも、この蒸発がきっかけで、音楽家ヨハン・シュトラウスⅡ世の人生が始まりました。
19歳でウィーンの音楽界にデビューし、自作を次々に発表し、自分の管弦楽団を結成します。自らヴァイオリンを弾きながら楽団を指揮する「弾き振り」で、大成功を収めました。一方、父親も自分の楽団を持っていたので、最初は競争するかたちになり、親子の仲はさらに悪化しましたが、時間を経ることで最終的には和解しました。
音楽により深まった溝は、音楽により埋められたということです。
24歳のときに父親が亡くなると、2つの楽団を1つにまとめ、ヨーロッパ各地への演奏旅行を盛んに行い、いよいよⅡ世が正真正銘の「ワルツ王」として君臨することになります。
次々と発表するワルツやポルカは人々の心を魅了し、人気の新作を自らヴァイオリンを奏でて指揮する彼は、時代の最先端を行くアイドルになりました。
生涯を通じ、作曲・演奏活動などで欧米各地でも活躍。父の名声、世紀末の風潮への社会的不安・商業演奏活動なども相まって世紀末のウィーンで一世を風靡した「ワルツ王」は、1899年6月3日に人生の幕を閉じます。享年73才でした。
今回の『Word Of Classic』は【ワルツ】です。