
さて、第二回目となる今回は「都々逸」を取り上げました。「都々逸」というとGIGの「粗野なドラマー」などという者は「超・ドイツ」などと表現なさったりされるわけですが、これはもう勘違いも甚だしいわけです。そんな悪意(?)に満ちた勘違いを駆逐すべく「都々逸」の歴史から…。
「都々逸界の八橋検校」とでも言いましょうか、いわゆる都々逸を流行らせたスーパースターがおられたわけです。その名も「都々逸坊扇歌」!(どどいつぼう せんか 1796〜1852)もう、名前からして都々逸です。これで、「長唄」とか「常磐津」をされた日にゃ「骨川スネ夫」が「ムキムキ」であったり「ポッチャリ」なのと一緒です。
で、この「都々逸坊扇歌」の何がすごかったかというと一つは生き様!この方、幼少の頃に目を患われて失明はまぬがれたのですが視力をほとんど失われます。当時は「当道」という盲人の音楽組織がありまして、幕府から専有の職業として音楽活動が認められていたわけですが、そんなこととは関係なしに「僕ええ声やし、歌好きやねん!」的な理由で(本人から聞いたわけではないのですが)郷里を飛び出し三味線一つを抱えて修行の旅に出ます。時代が時代ならインドかチベットに辿り着いていたかもしれません。それはさておき扇歌さん、江戸に出てきます。そこで船遊亭扇橋(せんゆうてい せんきょう)というお師匠さんに見出され寄席に。
ここで、扇歌さんのすごいところをもう一つ。当時、人によって節が色々だった都々逸ですが一定の節にしたのが扇歌さんだと言われています。この一定の節にまとめる事の何がすごいかというと「大衆に広がりやすくした」ということですね。いわゆる「お求めやすくなりました」的な感じです。一定の節さえ弾ければあとは句を自分で作れればドンドン発表できるわけですから(歌の上手い下手は別にして)、これは流行りますね。当時の庶民の都々逸が残っているのは扇歌さんのおかげかもしれません。
芸人として大人気だった扇歌さん、スーパースターにありがちな体制批判な側面が出てしまい(モハメド・アリの懲兵拒否然り)、江戸払い(江戸を追放される)わけです。そして、その2年後にお亡くなりになるわけですが、これだけの大偉業を成し遂げ濃い人生を送られたわけですから「我が生涯に一片の悔い無し!」でしょう。(本人から聞いたわけではないのですが)もしかしたらまだまだ歌い足りなかったかもしれませんが…。
ちなみに、「都々逸」の由来ですが、俗曲(流行歌)の「よしこの節」の調子と「名古屋節」の「そいつはどいつだ、ドドイツドイドイ」という囃子詞を組み合わせ、それが都々逸と呼ばれるようになったそうです。「名古屋節」とあるように実は「都々逸」の発祥は名古屋のようです。
今回「京都邦楽見聞録」でかけた「都々逸」ですが「都々逸坊扇歌」が作った一定の節のバージョンです。歌っておられるのは「日本橋きみ栄」師匠です。この方は端唄の方ですが「都々逸」も歌われ、寄席などでも活躍されていたそうです。
そして、今回の「都々逸」で資料等お世話になりましたのが日本橋きみ栄師匠のお弟子さんである端唄屋・笹木美きえさんです。ホームページもお持ちなので一度行かれることをオススメします。「江戸端唄」や「俗曲」の事がよくわかりますよ。「江戸端唄」も聴けますし、勉強になります。都々逸掲示板もあり、自作の都々逸が投稿できますよ。三味線に触れたことのない方はまずこちらから。そのうち自分で作った「都々逸」を三味線を弾いて歌いたくなるのでは!
「端唄屋・笹木美きえさんのホームページ」
それから今回告知させて頂いた「邦楽聴いてますかThursday」初のゲストとして有名な(?)石川憲弘さんが参加されるシンガポールでのコンサートの詳しい情報は
こちらから。
「石川憲弘さんのホームページ」
世界を狭しと活躍されておられます!シンガポールに友人・知人がおられる方は是非行かれることをオススメ下さい。
次回も「京都邦楽見聞録」では「都々逸」を取り上げたいと思います。邦楽イベントの告知もドンドンしていきますのでお楽しみにっ!!みなさんの御意見・御感想もお待ちしております。(日記の感想も)
三宅 良
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